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イベントレポート

【鍋講座vol.26】俳優の危機管理編 レポート

 今、俳優の仕事は多岐に渡っています。映画、ドラマ、広告、演劇、ナレーション・・・。事務所に所属している俳優も、フリーで活動する俳優も、最終的には自分の身体と心をさらけだして、ある作品世界の創造に寄与していきます。だからこそ、その仕事の過程、表現の領域で起きる種々のトラブルは、俳優にとってダイレクトに心身を傷つけかねないリスクを負っています。自立した俳優としてその仕事を長く楽しく継続していくために必要な知見を、俳優として、また映画監督として活躍する鈴木卓爾さんにお伺いします。

【ゲスト】
鈴木卓爾(映画監督・俳優)
長編映画監督作に『私は猫ストーカー(2009年)』『ゲゲゲの女房(2010年)』
『楽隊のうさぎ(2013年)』『ジョギング渡り鳥(2016年)』など。
俳優として『トキワ荘の青春(1996年/市川準監督)』『Dressing Up(2012年/安川有果監督)』などに出演。
【司会・ファシリテーター】
深田晃司(映画監督『淵に立つ』・独立映画鍋メンバー)
【開催】
2015年12月21日(月) 於下北沢アレイホール

鈴木卓爾さんの歩みから

 鍋講座vol.26では、映画監督でありながら俳優としても大作から自主映画まで幅広く活躍する鈴木卓爾さんをお招きして、俳優の危機管理をテーマにお話を伺いました。鍋講座で俳優に向けた講座を行うのはこれが初めてのことです。筆者(深田)自身、映画を作っていて、どうしてもスタッフと俳優部の間に溝を感じてしまうことがあり、スタッフの目線から語られがちな映画の現場を出演する側の立場から見直す機会を作りたく、今回の講座を企画しました。

 まずは、鈴木さんご自身のキャリアについて語って頂きました。
 「高校時代から大学の頃に至るまで8ミリ映画を作っていた」という鈴木さん。当時、平野勝之監督、園子温監督、山崎幹夫監督といった兄貴分にあたるような諸先輩方の8ミリ作品がとても面白かったとのことです。
 25歳のときに、東京造形大学映画研究会の一つ後輩である、矢口史靖監督の作品に脚本とチーフ助監督で参加し、日比谷シャンテシネなどで広く公開され、作るところから観客に届けるところまで経験したことがきっかけとなり、本格的に映画監督を目指し始められました。
 2009年公開の『私は猫ストーカー』で長編映画を初監督しヨコハマ映画祭で新人監督賞を受賞してから、商業映画で3本、自主映画で3本の長編映画を監督され、一方で27歳のときに、斎藤久志監督からのオファーでVシネマ『夏の思い出 異常快楽殺人者』に主演し、初めて自主映画ではなくギャラをもらう仕事として映画に出演することになったそうです。それは「見ると僕が嫌いになる(笑)」ような殺人鬼の役だったとのこと。映画に出るのは嫌ではなく、ご自身で作られていた8ミリ映画にも鈴木監督自から出演しているものが多く、レンズに対して対峙するという意識、映画に映るという意識はもともと強かったとのことです。

現場に潜むリスクと俳優

 会場への「この中に俳優をされている方はいますか」との鈴木さんの問いかけに、10人ほどの方が挙手。次に「ではその中で危険撮影を経験したことがある方はいますか」との問いに、男性の俳優の方から「崖に向かって車で3名を乗せて自走して一メートル前ぐらいのギリギリのところで停まる」という、いきなりA級クラスの危険撮影のエピソードが飛び出し、会場を驚かせました。
 「怖かった。安全対策なども特になかったと思う。2時間もののテレビドラマだった」と続く言葉に、鈴木さんは「自主映画ではなくテレビや大きな映画などの予算の整っている現場では安全対策をしなければ撮影にGOサインが出ないから基本は大丈夫なんですよ、と言おうと思ったらいきなり覆されてしまった」と苦笑いしつつ、「でも、リアルに考えると、今はプロの世界でも予算が絞られている現状があり、人が足りなかったりスケジュールとの戦いのなかで俳優が演技をしなくてはいけないということが、かつてよりも増えているのかもしれない」と語る鈴木さん。
 ここで鈴木さんご持参の参考映像を流しながら、ご自身の経験した危険撮影について話が進みました。
 それは2年前に撮影したあるミュージックビデオの撮影で、鈴木さんはレオス・カラックス監督の『TOKYO!』におけるドニ・ラヴァンを彷彿とさせる役でご出演。女子高生を追い詰める通り魔の役。鈴木さん自身、自分もいつまで体を張った仕事ができるか年齢的にも分からないので、良い仕事だな、頑張ろう、と思い現場に臨まれたそうです。
 あるシーンでの鈴木さんの芝居は、「裸足で女子高生を追いかけ、フェンスを越えて高速道路の高架下の藪を走り、さらにもうひとつのフェンスを越えて、標的である女子高生を先回りして抑え込む」というもので、この一連の流れをワンカットで撮影されました。
 この芝居の方針は当日、現場で決まり、例えばどうやってフェンスを越えるか、ということについては、鈴木さん自身も「よしやろう」と思ったものの、スタッフが少なかったこともあり、その越え方などは鈴木さん自身が考えなくてはいけなかったとのこと。
 結果、スピーディにそのフェンスを越えるためにはアクロバティックなアクションをしなくてはならず、このときのシーンの撮影が原因で鈴木さんは胸を痛めてしまいました。
 鈴木さん曰く、これは自分自身リスクに気づかずに撮影に参加してしまった悪い一例だったとのことです。例えば走り抜ける茂みの石を事前に除けておくなどの対策をする余裕もない低予算の現場で、撮影日数が限られていることも分かっていたので、胸に痛みを感じがならも撮影を止めることもできず、現場では孤独を感じていた、とのことです。
 危険撮影は往々にして準備不足のなか、俳優が最終的に現場のカメラの前でそのリスクを担わなくてはならないときに起きがちです。例えばこのミュージッククリップにおける女優さんを道路に押し倒すという動きも、細心の注意でやってはいるものの、すべてはそこにいる俳優だけの領域に任されている作業で、もしかしたらそのときその女優さんも頭を打って怪我していたかも知れない、と鈴木さんは振り返られました。

現場での備えの重要さ

 一方で、以前鈴木さんが『ナイン・ソウルズ』(豊田利晃監督)という映画に出演されたときのこと。癲癇持ちという設定で倒れる場面のときにはアクション監督が必ず側につき、腰と肘と膝に打っても大丈夫なようにサポーターがつけられ、また安全な転倒の仕方についても細かく指導があったそうで、当時は俳優として安全な倒れ方よりもリアルさを優先した迫真の演技をしたい、という思いもあったものの、完成したものを見てみると、不思議と軽くやったつもりの芝居がそうは見えなかったそうです。
 そういった判断の難しいところを、アクション監督のいる現場ではちゃんと安全性とクリエイティブのバランスを見てコーディネートしてくれたとのこと。つまり、そこはもう俳優の芝居の領域というよりは安全対策の領域で、もしそこで俳優が怪我をしてしまったら、俳優自身の人生にも影響がありますし、現場としてもそこで撮影がストップしてしまうことになります。
 ただ、現状の低予算映画において、そういった安全対策をすべて行えているかというと難しく、怪我の問題は必ずどこにでもあるということをスタッフもそれに参加する俳優も認識して欲しい、と鈴木さん。もし危ない撮影になりそうだなということがあれば、無駄とは思わずにちゃんと十分な対策をして臨んで欲しい。一方で、その危険性に俳優しか気付けていないことが往々にしてある。些細な動きの中で自分だけが気づくこともあるし、人は緊張しているときに普段の日常と同じようには動けず、怪我をし易くなるということも認識すべきである、と鈴木さんは語ります。

俳優は「高級小道具」?

 危険撮影とは何も怪我ばかりではありません。
 例えばヌードとかキスシーンとか、性に関する場面で、どこまで演じるのか了解事項が俳優とスタッフの間で取り結べていないまま現場を迎えてしまうこともあります。これは身体的な危険というよりもメンタル面での危険と言えるでしょう。
 なぜそういうことが起きるのか。鈴木さんは語ります。映画作りにおいては、俳優が関われる時間はとても短い。企画を立てて脚本を書いてロケハンをして撮影をして編集をして。その中で俳優が関われる時間は、制作全体が10だとすると、撮影前の打ち合わせや衣装合わせも含め1か2しかない。そういった中で、俳優は現場で不意に孤独に陥ることがある。

 スクリーンに映るのはスタッフではなく俳優だけど、監督は俳優部と話す時間が一番少なかったりする。準備や撮影の段階でそれぞれの思いが共有されていない、そのコミュニケーションの少なさに落とし穴がある、と鈴木さんは指摘します。性的な場面に臨むときの俳優のメンタルは複雑です。俳優ひとりの裁量で自分を納得させて現場をこなすということを俳優さんたちはかなりの割合でやっているのではないか、と。

 青年団の俳優である山内健司さんは、俳優のことを「高級小道具」と表現したそうです。つまり、俳優が風邪を引いたり怪我をしたりしたら現場が困るから、寒いところでずっと立たせたりしないで暖かい控え室を準備したりするけど、一方で今現場で何が進行しているのか、何が起きているのか、あまり教えてもらえなかったりします。
 鈴木さんは俳優として参加するとき、現場がどうなっているのかを知りたいので、出来るだけ早くから入るようにしているそうです。
 例えば、自分がどこで演じるのかも知らないまま撮影当日を迎え、初めて足を踏み入れた部屋で、10年住み続けた設定の役を演じないといけないこともある。だからせめて、自分の住んでいる設定の部屋がどうなっているのか、どこに扉があって電気のスイッチがあるのかなどを事前に知っておきたい。でも、それを教えてもらえる体制が低予算だと整っていなかったりするし、そういった準備がなくとも俳優は演じられるものだと時に映画のスタッフは思っている節があるそうです。
 舞台表現であればおおよそ本番の小屋の一月前、二ヶ月前から稽古が始まる。また、自分たちのセットや衣装、消えモノなどを自分たちで準備したりするけど、それと比べると、映画は準備も何もないまま、現場で瞬時に埋めていかないといけないし、それができて当たり前と思われている。本来は、映像にしても俳優が何かを演じるにはそれ相応の準備が必要であるにも関わらず、そう思われてないことが多い、と鈴木さん。

出来ること、出来ないこと

 鈴木さんは続けます。俳優にはどうしても出来ることと出来ないことがある。出来ないことも含めてその人はキャスティングされているのだから、出来ないことは出来ないと言って良い。そこは(スタッフと俳優部の間に)対話の余地があるはず。
 撮影部や美術部だって急にやれと言われても出来ないことがあるように、俳優だって一緒。そして、メンタルの持ち得る個性は俳優によって違う。だからこそ俳優はそれぞれが世界にただひとりの職種としてリクエストされて現場に赴く。俳優は、自信を持って出来ることと出来ないことを理解し、伝え、なぜ私が選ばれたのかと自他に問う時間を持つべきである。しかし、往々にして映画の現場は時間がなくて怒涛のように非日常が訪れてしまう。そこに矛盾がぶらんとぶら下がっている。

 以上、鈴木さんの話を質疑応答も含め2時間近くたっぷり伺い、聞けば聞くほど、カメラの後ろ側にいる人間として気づきの多い内容でした。最後に鈴木さんの語った「矛盾」は、俳優部だけではなく、俳優、スタッフ、プロデューサーが一体となって常日頃から考え改善を目指していかないと解消されないものなのでしょう。
 鈴木さんのお話から、特に若い俳優たちが留意すべき点を3点にまとめるとしたら以下になるでしょうか。

・撮影現場は非日常。危険だと思ったら遠慮せずスタッフに確認。
・危険は身体だけではなくメンタルも。自分に出来ること出来ないことを認識し事前にスタッフ、監督と話しておく。
・相談できる相手を持つ。事務所に所属しているのならマネージャー。そうでないなら現場にいる年長の俳優などとコミュニケーションをとること。

 今回のレポートはあくまで私なりに要約し、だいぶ端折った内容になっています。会員の方限定になりますがより詳細な動画も下記の映画鍋公式サイトから視聴できます。ぜひご活用ください。(文責:深田晃司)

【役立つ情報】 http://eiganabe.net/useful