【鍋講座vol.22】「めざせカンヌ・国際映画祭への窓口」レポート
ゲスト:坂野ゆか(公益財団法人 川喜多記念映画文化財団チーフコーディネーター)
ファシリテーター:藤岡朝子(山形国際ドキュメンタリー映画祭 理事)
開催:2015年4月17日(金)19:00〜@下北沢アレイホール
鍋講座22回目は、ゲストに、日本映画を海外に紹介するための重要な役割を担っている川喜多記念文化財団チーフコーディネーターの坂野ゆかさんをお招きしました。鍋講座史上最多の84名の皆さんにご来場頂きました。参加者は映画制作関係者が一番多く、川喜多財団を通して自作を映画祭に、と思う人が多かったのかもしれません。
「めざせカンヌ」という講座タイトルが不評だったという藤岡さん。講座の前日に今年のカンヌ映画祭のラインナップの発表がありました。映画製作者は相変わらず目標としてカンヌでと思っている人は多いのですが、高いハードルに自己規制が働くのか、実際には応募すらしない人も多いらしいです。実はカンヌよりベルリンや釜山の方が応募出来る部門が多いせいか応募数も群を抜いて多い、とのことです。
川喜多記念映画文化財団の歴史は?:
戦前に川喜多長政・かしこ夫妻の東和商事という『天井桟敷の人々』『会議は踊る』などの名画を買い付けていた映画会社がありました。かしこ夫人は英語が堪能で、欧州に買い付けをする中、世界の映画関係者との人脈が生まれました。当時、日本映画に興味があっても日本でどこに行けば観られるのか分からなかった外国の映画関係者たちが、かしこさんに問い合わせてきたのが始まりだそうです。かしこさんたちは、東京のフィルムセンターの充実の目的から、1960年にフィルム・ライブラリー助成協議会を作り、それを長政氏が亡くなった82年に財団法人化、2011年には公益財団法人になりました。今の財団の運営資金は主に映画会社関係の賛助会員(映画関係の企業や昔からのおつきあいのある人など)からの賛助会費で成り立っているそうです。川喜多さんがいなければ、日本映画が世界に知られるのにもっと時間が掛かっていたのではないでしょうか。その時に作り上げた人脈のネットワークが今の窓口になっており、かしこさんの理念は、「その国を知るには映画を観るのが一番、映画を通じて世界の平和に貢献したい」だったそうです。当時は日本映画を海外に持っていくことは戦前には皆無な時代で、日本映画に関してはブローカーでなく純粋に作品紹介で、非営利活動だったそうです。かしこさんの仕事の延長上に坂野さんの仕事があり、現在の財団の仕事として他に映画情報の収集、活用、スチール、パンフレット、雑誌等の資料の提供・貸出などがあります。また、年1回、長きにわたって日本映画に貢献した人・団体を川喜多賞で表彰しているそうです。そして川喜多氏の家を鎌倉市に寄贈した地に、鎌倉市川喜多映画記念館が2010年に開館しています。
坂野さんの仕事とは?:
日本映画を映画祭などを通して海外に紹介すること。仕事の約8割が海外の国際映画祭のプログラマーに、約2割が文化機関(各国のシネマテークや映画大学等)に日本映画を紹介しているそうです。財団には毎年20〜30チームの国際映画祭選定委員が来日、大抵3〜4日滞在され、大手から独立系まで、製作者や配給者から持ち込まれた作品を浴びるよう観ていきます。その場で上映を決めるか、可能性のある作品の素材を持ち帰り「キープ」するか、その場でお断りをするか、そのいずれかの意思表示はしてくれるそうです。国際映画祭へはインターネットで応募すると応募料がかかる場合がほとんどですが、川喜多においては応募料の発生を心配することなく、(ある程度の決定権を持つ)映画祭プログラマーに直接観てもらうチャンスがあるということです。
どうやって応募したらいい?坂野さんに電話したらいいの?:
まず作品素材を仕上げ、英語の字幕を付けたブルーレイ、DVD、DCPなどと日本語と英文の簡単な資料(2〜3行のシノプシス)、自分の連絡先(意外と書かない人がいる⁉︎)、監督のフィルモグラフィーなどを提出します。2年前に作った映画は応募出来るかというと、映画祭が求めている応募規定は、ほとんど完成から12ヶ月以内のもの。2年前の作品では難しいそうです。完成から12ヶ月の規定とは、「初めて公に上映会をしてから12ヶ月」が目安だそうです。
⚫「ウィーンのビエンナーレで上映されてしまったので、ベルリンでは上映できない」という例のように、川喜多財団に来るヨーロッパの映画祭のほとんどはヨーロッパで初お目見えでなければならないが、時々例外も発生するようです。世界に2〜3千の映画祭があり、ドキュメンタリーやレズビアンゲイ、環境映像祭、など細分化されているなか、川喜多財団は老舗感のある総合映画祭のプログラマーとの繋がりが強いようです。川喜多財団では、映画祭を選別し断ったことはないのですが、商業主義で、映画芸術というより商品プロモーションのイベントではないか?との判断から、断ったこともあったそうです。長年に渡り、協力している映画祭の増減はあまりないですが、最近は昔に比べ、来日者の滞在日数が減っているそうです。35mmフィルムのみで選考していた時代とは違い、インターネット上でも試写できるようになったというのが主な理由かと推測されます。
映画祭の人が来日して人に会いたい場合、彼らはどのようにして人に会っているのですか?:
彼らから誰々に、と言うよりは、日本の会社側から食事の誘いをして断られている場合が多いようです。選考判断の潔癖を貫くプログラマーが意外に多いそうです。今後の来日スケジュールとしては、6月の1週目に(夏の)香港映画祭、翌週にロカルノ映画祭、釜山映画祭。カンヌは10〜11月に来て、作品ラインアップを固めるというより、翌年春にどんな作品が完成しそうか当たりをつける目的で来日するそうです。ベルリン映画祭は、たいてい11月の2〜3週目に3人体制で選定委員が来日しています。プログラマーには映画祭規約の条件に合う作品を見せており、坂野さんの嗜好や意思は全く入らないそうです。
1998年から17年間、坂野さんはこの仕事をしているのですが、映画祭模様の変化はどう考えていますか?
坂野:1998年の日本映画の公開本数は215本で、2014年は615本です。が、この大幅増が国際映画祭への出品作品数と体験的にはまるで比例していません。私が初めてカンヌに行った2001年に、カンヌに出品された日本映画は10本にものぼり、是枝裕和、諏訪敦彦、黒沢清、小林政広、押井守監督たちの作品で、賑やかでバブリーな年だったのですが、2000年代の半ば過ぎから様子は変わってきて、製作本数の増加と海外上映の数は比例していない状況です。以前はほとんどの場合、とんがったアート系作品が求められていましたが、現在は選ばれていく日本映画の傾向は多様化しています。
とはいえ、海外の国際映画祭で上映される日本作品の監督の顔ぶれが固定化しており、海外の担当者は新しい才能を探しているのに、残念ながらお眼鏡にかなっていないのが現状で、いいところまで行っても選ばれないという事態が起こりがちです。ポスプロの精度が低いのか、日本のインディペンデント映画と海外なら、海外のものが選ばれてしまっています。今、日本の映画界においてはオリジナル脚本の映画は非常に稀で、漫画原作のものばかりになったことが、創造性やクリエイティビティの減退と関係があるのかも知れません。
川喜多文化映画財団は国、製作者、映画祭から運営費を得るのではなく、フレキシブルに色々な作品をどうにか海外に紹介していきたいという、かしこさんの強い遺志が、財団の思想の根底にあることも話されました。海外からの映画祭の手数料や作り手から応募料を取るわけでもなく、徹底した公益的な活動なのですね。
⚫最近の坂野さんの悩みとしては、映画祭の担当者に候補作品を沢山お観せしても、持って帰ってもらえないこと。海外で紹介される監督が固定化し、次なるスターが出ず、滞っているのが残念。何千という映画祭が世界にあり、各自映画祭を調べてもらって、自力で応募もどんどんして行って欲しい、とのことでした。
質問コーナー:
Q:英語字幕のこともわからない、英語も読めない若い映画監督から、海外の映画祭でどこを目指せばいいのかと訊かれたら、坂野さんなら何と答える?
A:エントリーフォームが書けなかったり、規約が読めない場合、一回はある程度まで手伝う。ロッテルダム映画祭とエーテボリ映画祭、どっちがいいかと訊かれれば、わかる範囲で客観的な話はするが、あくまでも一意見だと強調し言う。藤岡さんは、「なぜ国際映画祭に出したいのか考えて欲しい」と指摘。「行ったことない国に行きたいのか、賞金ねらいなのか、など自分の優先順位を決めなければ選べない」とのこと。
Q:川喜多財団に作品を預ける場合、英語字幕以外に英文資料を求められるのか?
A:とにかく英文が必要。観てもらうためにはどうすればいいか考えること。DVDの盤面を白のまま提出したり(よくあるパターン)、日本語で「英語字幕版」と書いて安心しないように。ぜひ英文タイトルを書いて。
Q: 毎月川喜多財団に預けられる映画の本数はどのぐらいなのですか?
A: 波があり、ベルリンや釜山からどなたかが来日するときにドワーっと作品が届いたりする。
Q:担当者に渡す資料作りにコツはある?
A: 必要最小限のものを見やすいレイアウトで。簡潔がいい。資料を見ない人もいるくらいだから、俳優の長いフィルモグラフィーもいらない。そうは言っても連絡先や何作目かとかは太字で必要。
Q:多様な映画がある中、どの映画祭が向いているかアドバイスをもらえるのか?
A: 坂野さんの予想と違う選ばれ方があるので、正確には言えない。こんな考え方はありますよ、程度には。わかりやすくジャンル分け出来るもの以外は、アドバイス出来ない。
国際映画祭のことをよく知っている会場の参加者からのコメントが参考になりました。
荒木啓子さん(PFFディレクター):映画祭に出すための情報を皆さんある程度は持っていると思っていたが、あまりに知られてないのでとても驚いた。
PFFの公式サイトには、様々の海外体験記を掲載してるが、最近は「具体的に役立つ情報」を掲載するようにしているので、是非みてください。例えば、日本の自主映画の圧倒的に弱いところは「音」。それを世界で通用するようにしていく苦労を具体的に鶴岡慧子さん(*ぴあフィルムフェスティバル入賞監)にレポートしてもらったりしてます。その前に、海外に出すのはお金も手間もかなりかかるので、なんのために海外に出したいのか、を考えるのがすごく大切。出すと決めたら英語は絶対必要なので、自分で出来ない場合はなりふりかまわず色んな人に声をかけ助けてくれる人を得ることかスタートライン。字幕は大変大切なので友達レベルでなくネイティブにチェックしてもらうのは必須。川喜多記念映画文化財団は、基本的に日本の劇場公開映画のサポートで手一杯なので、自主映画は自分のことは自分でするという覚悟が必要。
矢田部吉彦さん(東京国際映画祭):映画祭は、あっちに出すとこっちは出せなくなるが、それは国際映画祭が実は選ばれすぎた作品より手垢のついてないものを喜ぶ傾向があることを知っておいて欲しい。
島内哲朗さん(字幕翻訳者):プレス資料の英訳もするが、日本語の企画書を直訳しても面白くない。英語でもともと書かれたものを読んで、それを真似て書くのが良い。日本語からだとわかりにくくなる。
藤岡さんがこの鍋講座企画を立ち上げた発端は、ある海外映画祭担当者が来日し、坂野さんの仲介で食事会を催した際に松竹とイメージフォーラムの国際担当者(どちらもベテラン)が初対面だった、と聞いたことでした。映画祭で海外展開をしていく上では、メジャーだろうがインディペンデントだろうが、土俵は同じなんだな、ということを発見したそうです。坂野さんも、初めて両者が名刺交換されていて、「お互い会う機会がなかった」ことに驚き、日本映画がメジャーとインディペンデントに分断されている現状を打破出来れば、という思いになったそうです。
良い作品を作って海外展開を勧めるが、坂野さんにあまり迷惑かけないように、との藤岡さんの会場への要請で、講座は終了しました。
今回は普段の鍋講座では顔を見せない映画祭関係や配給宣伝、一般の方々も参加され、参加者数はこれまでで最大となり、皆さんの川喜多財団への関心の高さがうかがえました。登壇頂いた坂野ゆかさんは、協力した映画祭のレポートをよく挙げておられるし、ライターの中山治美さんの記事や、TIFFの矢田部さんのブログも面白いので、そういった所からも自力で海外映画祭について情報収集をしていくことが大事だと藤岡さんはアドバイスしていました。「海外映画祭に出したいなら、外国人に検討してもらうことを前提に、何の情報が一番大事かを考え、自分の連絡先不明記、DVDに何も記載がない等のうっかりミスは自力で未然に防ぎましょう」という基本的なことを、坂野さんも藤岡さんも何回もおっしゃっていました。今回のお話を参考に、海外映画祭のプログラマーに観てもらえるチャンスを活かしていきましょう。
(文責:山岡瑞子)