【鍋講座vol.46】映画の公益性ってなに!?Ⅱ ~映画『宮本から君へ』助成金不交付問題・東京地裁判決から考える~」レポート
【日 時】2021年7月14日(水)19:00〜21:00
【開催方法】 オンライン開催(Zoomウェビナー)
【ゲスト】
■ 河村光庸
70年に慶応大学経済学部中退。出版事業や映画出資の経験を経て、08年に映画配給会社スターサンズを設立、代表取締役に就任。海外作品の配給を行いながら、邦画作品の製作・配給にも力を注ぎ、『かぞくのくに』(12)、『あゝ、荒野』、(17)『愛しのアイリーン』(18)、『新聞記者』(19)、『ヤクザと家族 The Family』(21)などの話題作を発表した。エグゼクティブプロデューサーを務めた『宮本から君へ』(19)は、2019年の日刊スポーツ映画大賞で主演男優賞、監督賞を、ヨコハマ映画祭では主演男優賞を獲得している。
■ 四宮隆史(弁護士)
慶大卒。TV番組制作を経て、2003年に弁護士登録。映画、音楽、放送、広告等の各種プロジェクトのアドバイザーを務める一方、映画監督、脚本家、小説家などのエージェント会社、株式会社クリエイティブ・ガーディアンを創設。E&R総合法律会計事務所代表。映画『宮本から君へ』助成金不交付決定取消訴訟の弁護団長を務める(本年6月、東京地裁で不交付決定処分の取消しが認められた)。今年公開の関与作品(法務)として映画『漁港の肉子ちゃん』『竜とそばかすの姫』(7.16公開)『空白』(9.23公開)等がある。
■ 志田陽子
武蔵野美術大学 造形学部 教授 (憲法、芸術関連法)。専門は憲法と言論法・芸術関連法。博士(法学)。2000年より武蔵野美術大学で、憲法と、表現活動のための法学科目を担当。早稲田大学・東京都立大学非常勤講師。著書に『あたらしい表現活動と法』(編著・2018年)、『「表現の自由」の明日へ』(2018年)、『映画で学ぶ憲法2』(編著、2021年)、など。近年、日本でも多発している芸術表現への妨害事例や公的支援をめぐる議論について、社会への発言も多数。
■ 作田知樹
法や契約に悩む表現者へのプロボノ支援を行う専門家による非営利団体Arts and Lawファウンダー・理事(行政書士)。国や自治体の文化芸術事業の企画運営、調査評価、助成金などの実務を歴任する現役のプログラム・オフィサー。また現代文化政策の根本原理である文化的権利や公平性の観点から、表現に関わる振興や規制に関する諸制度の教育研究に携わる。京都精華大学大学院非常勤講師(2010年度-現在)、文化庁「諸外国における文化政策等の比較調査研究事業に係る会議」委員(2018-2020年度)、元国際交流基金ロサンゼルス日本文化センター副所長(2015-2017年度)。著作に『クリエイターのためのアートマネジメント 常識と法律』など。
【聞き手】
■ 舩橋 淳 (映画作家/NPO法人独立映画鍋正会員)
実在するセクシャルハラスメント事件に基づいた新作「ある職場」(2021)は東京国際映画祭でワールドプレミアされ、来年春劇場公開予定。 http://www.atsushifunahashi.com
2022年3月3日、『宮本から君へ』の助成金不交付処分をめぐる控訴審で、東京高裁は日本芸術文化振興会による不交付は「適法」との判決を下しました。2021年6月22日の第一審における、不交付は「違法」という判断が覆ったかたちです。独立映画鍋は、2020年2月に「鍋講座vol.44 映画の公益性ってなに!? ~助成金不交付問題から考える~」を開催して以来、この『宮本から君へ』の助成金問題について、継続して議論の場を設けてきました。最高裁への上告が準備されているいま、2021年の第一審判決後に開催された「鍋講座vol.46 映画の公益性ってなに!?Ⅱ」を簡単に振り返ってみたいと思います。第一審の判決はいかに「画期的」だったのか。映画の「公益性」とはなにか。この裁判の争点と今後の課題を確認してみます。
イベント当日はまず弁護団の四宮弁護士から第一審について報告がありました。訴状の内容や具体的な争点については、鍋講座vol.44のレポートも参照してください。第一審では原告側の請求が概ね認められました。助成金審査における行政裁量に求められる合理性や、芸術的観点からの専門家の判断を尊重すること、芸術団体の自主性について配慮することなどに言及した判決は画期的だそうです。専門家の知見に基づく審査の枠組みがある以上、それを覆すような合理的な理由があるかが丁寧に検討された結果です。芸文振の主張は「助成を許可すると国が薬物乱用に寛容であるとのメッセージをひろめる」とのことでしたが、これについてもあくまで助成金は映画に出しているわけで、主役ではない俳優が逮捕されたからといって、そのようなメッセージが強調される可能性は低いという判断がなされました。一方で、原告のプロデューサー、河村さんの発言にもあったとおり、今回の判決では、文化芸術の公益性については具体的な明言や定義付けは避けられたかたちになりました。
志田陽子さんも、とくに手続的正義の面から、第一審の判決が画期的であると指摘しました。ひとくちに「表現の自由」といっても、それが表現規制の問題か、または今回のように助成をめぐる問題なのか、それぞれのケースによって論点は異なってきます。今回は、不交付に処すに足る「相当な理由」がはたしてあったのか、その点にしぼって個別的に検討したうえでの判決でした。それゆえ、より普遍的な「公益性」の概念については触れられず、ちがう裁判官であればちがう判決になるという指摘は、控訴審での結果にも表れているかもしれません。
作田さんからは、公的な文化芸術助成金の役割について解説がありました。①非営利芸術の支援、②自主性の尊重、③思想の市場への参入という3つの柱は、文化の多様性を確保し、社会的なメッセージを発信する芸術を守るための助成金の役割として、とてもわかりやすかったです。
イベントでは、あいちトリエンナーレで同じく助成金不交付問題にぶつかった津田大介さんからのコメントも紹介されました。『宮本から君へ』、あいちトリエンナーレ、そして昨今の学術会議問題、これらはみな、文化の公共領域への国家による歪な介入であり、分野を横断して連帯をしつつ、ひろく世間の関心を向けることが必要だという意見には納得しました。
ほかにも、作品の売り上げによるリクープを前提とする助成金のあり方の是非や、弱者や個人の権利を守る意味合いが強かった「公共の福祉」という言葉が、国家やマジョリティの利益を指しがちな「公益」という言葉に取って代わられることの危険性、といった議論は、今後の文化行政を考えるためにきわめて重要でした。
ゲストの方々が指摘していたように、今回浮上した「公益性」という概念については、裁判所の見解に委ねるのではなく、わたしたちの側から批判的な意味付けを行っていく必要があります。控訴審で判決が覆ったいま、いま一度この裁判の重要性を社会に問いかけていく必要があるのではないでしょうか。「表現の自由」は大切ですが、志田さんがおっしゃっていたように、行政に対して「関わってこないで!」と端から拒否反応を示すのではない、粘り強い闘いが必要です。透明な手続的正義を主張していきながら、公共的な文化のあり方を社会に対してラディカルに問うていく活動が求められているように思います。
(文責:新谷和輝)