【レポート】鍋講座vol.44「映画の公益性ってなに!? ~助成金不交付問題から考える~」
日時:2020年2月25日19:30~21:30 会場:下北沢アレイホール(オンライン開催)
ゲスト:四宮隆史(弁護士)
慶大卒。TV番組制作を経て、2003年に弁護士登録。映画、音楽、放送、広告等の各種プロジェクトのアドバイザーを務める一方、映画監督、脚本家、小説家などのエージェント会社、株式会社クリエイティブ・ガーディアンを創設。E&R総合法律会計事務所代表。映画『宮本から君へ』助成金不交付決定取消訴訟の弁護団長を務める(本年6月、東京地裁で不交付決定処分の取消しが認められた)。今年公開の関与作品(法務)として映画『漁港の肉子ちゃん』『竜とそばかすの姫』(7.16公開)『空白』(9.23公開)等がある。
司会:舩橋淳 (映画監督)
映画作家/NPO法人独立映画鍋正会員
実在するセクシャルハラスメント事件に基づいた新作「ある職場」(2021)は東京国際映画祭でワールドプレミアされ、来年春劇場公開予定。 http://www.atsushifunahashi.com
コロナ禍が国境を越えて日本にも広がり始めた2020年2月の25日、東京地裁ではとある裁判の第一回口頭弁論が開かれていた。それは、ある映画製作会社が一度は内定した助成金の不交付決定の取り消しを求めた異例の裁判であった。被告は文化庁所管の独立行政法人日本芸術文化振興会(以下、芸文振)である。口頭弁論後に開かれた記者会見において、原告である映画製作会社スターサンズの河村光庸プロデューサーは「映画における表現の自由に関する、日本で初めての訴訟だと思う」とこの裁判を説明した。
今回の訴訟の発端は、映画『宮本から君へ』の出演者Aが、麻薬取締法違反で2019年3月に逮捕されたことだった。
この作品は文化庁の助成金(文化芸術振興費補助金)に申請していて、逮捕後の3月29日に内定通知が届いていたが、6月18日にAに対し有罪判決が確定。助成金を管轄する芸文振よりAの出演シーンについて再編集や再撮影、助成金内定辞退をする可能性の有無について口頭で確認を受けた製作会社側はそれを否定。その後、7月10日には芸文振の理事長の判断によって「公益性の観点」を理由に助成金の不交付が決定した。
その後、『宮本から君へ』は同年9月に劇場公開され、キネマ旬報ベストテン3位、第62回ブルーリボン賞監督賞、日本映画プロフェッショナル大賞作品賞など、高い評価を得ることとなった。
そして12月、映画を製作したスターサンズと弁護団は芸文振に対し上述の提訴に踏み切り、翌年2月に第一回口頭弁論へと至った。そして、まさに口頭弁論の開かれたその日の夜に、独立映画鍋では当裁判の原告側弁護団長である四宮隆史氏を下北沢に招いて、この裁判の意図やその争点についてお話し頂いたのだった。急速に拡大しつつあった新型コロナの感染対策のため、一般客の来場は急遽最小限に抑え、映画鍋としては初のオンライン開催となった講座でもあった。
私(筆者)自身も講座の運営のひとりとして関わりながら、今回の不交付問題には強い関心があった。なぜなら、不交付決定が公表された際の芸文振による「国が薬物使用を容認するようなメッセージを発信することになりかねない」との説明に違和感を感じていたからだった。なぜ、日本版アーツカウンシルを謳う「独立」行政法人の理事長の発言の主語が「国」になっているのだろう? 違和感と同時に「これは他人事ではない」という思いも湧き起こり、何が起きていたのかを知りたく、四宮氏の話に耳を傾けた。
訴状の骨子
四宮氏は2019年を「愛知トリエンナーレの問題に端を発し、表現の自由、表現者の萎縮、自粛の問題が問われた1年であった」と評し、今回の裁判についてはあくまで「芸文振や文化庁憎しのものではない」と言葉を慎重に選びながら、今回の訴状の骨子について要点を6つに分けて詳細に説明された。四宮氏の解説を以下に要約する。
①考慮不尽(専門家の判断を考慮あるいは重視して行われるべき)
助成金は公金だからこそ適切に使わないといけないのは当然のことで、だからこそ第三者の専門家の意見を踏まえて検討に検討を尽くして交付先が決められている。専門委員会の審査によってなされた助成金の内定通知に対し、専門委員会に戻すことなく、理事長判断で不交付を決定したことは、十分に考慮が尽くされたとはいえない。
②他事考慮(関連法令の趣旨に鑑みれば「公益性の観点」は本来考慮してはならない)
公益性という、法令に規定のない要素が考慮されている。本来であれば「内定取り消し」を行いたければ芸文振は正規の手続きをもってそれを行うべきで、実際芸文振の交付要綱には「内定取り消し」を行うための条項が存在する。しかし、当時の交付要綱では「公益性の観点」を理由に内定取り消しはできなかったため、代わりに不交付決定という手段が取られた。何より問題は、その後に交付要綱ならびに新たな募集要項に「公益性の観点から助成金を取り消すことがある」と一文が付け加えられたこと。これにより、映画界に大きな萎縮効果の引き起こる危険性が高まったといえる。
③「重要な事実の基礎」を欠く判断(当該出演者の出演時間の短さや役柄など)
出演者Aの作中での登場シーンは上映時間120分中の11分ぐらい。重要な役ではあるが、出番としては決して多くはなく、映画の内容もAさんの出演シーンも薬物使用とはまったく関連性がない。
④刑事事件への評価が過大であり、「事実に対する評価」に明らかに合理性がない
「この映画でAさんを見た観客は薬物をやりたくなるのですか」ということ。その判断に合理性があるといえない。
⑤不交付決定時点の要綱に記載がない「公益性」を理由とする不公正な判断
⑥平等原則に反する(合理的理由のない差別的扱いは許されない)
平等原則は憲法で保障されている。ひとりの出演者の不祥事をもって交付しないという判断は、他の映画への助成金交付と比較し平等性を欠いている。しかも、このような要件での内定後の不交付は今回初めてのケースであり平等さに欠ける。
以上、これら複数の理由から合わせ技一本のようなかたちで、仮に行政裁量が認められたとしても、それは裁量権の逸脱濫用であることは明らかであると四宮氏は語り、訴状においてもそのように主張されているとのことだった。
そもそも、と四宮氏は言う。今回の件に関連する法令に「公益性」という言葉はひとつもないことは重要で、つまり法令根拠のない処分ということになる。日本は立憲主義。憲法に基づいて憲法が行政機関を縛り国民に基本的な人権を保障する。そしてまた、立憲主義であると同時に法治主義でもある。法律に基づかない行政処分、さらに言えば不利益処分であるにも関わらず、処分をするだけの要件を満たしていない以上、そもそもこれはダメでしょ、という話。三権分立は本来は完全に独立していないといけないが、確かに日本では行政の裁量にある程度任せましょう、となっている。しかし、仮に行政裁量というものが今回においても認められていたとしても、それが逸脱濫用されているのではないか、と四宮氏は説明する。
表現の自由に対する軽視
芸文振が今回の不交付の判断の過程において、製作側に再編集・再撮影を求めたことも大きな問題で、つまりそれは、映画という手段を使って表現を行う映画製作者や監督の「表現の自由」に対する軽視であると言える、と四宮氏は指摘する。もちろん「表現の自由」もオールマイティではなくときに制約を受ける場合もあるが、ギリギリまで制約をしないのが当然であって、つまりそれだけ憲法の最高位にあるすべての国民の持つ基本的な権利なのであると四宮氏は強調する。
今回弁護団のメンバーのひとりである伊藤真弁護士は、20年以上前に当時NHKのディレクターであった四宮氏が司法試験を受けようか否か迷っていたときに、ガイダンスを聴きに行った受験準備校の塾長で、そのガイダンスでの伊藤弁護士の言葉を四宮氏は紹介した。
「憲法というのは皆さんの権利義務を定めているものではない。皆さんがもっている権利を保障するために行政を縛るための法律なんです」
今回の不交付問題に向き合うにあたり、四宮氏は直接の面識はなかった伊藤真弁護士を訪ね、弁護団への参加を要請された。そして河村光庸プロデューサー、伊藤弁護士、四宮氏の三人で今回の助成金不交付の経緯を顧みて、「表現の自由」にとって由々しき問題であると意見は合致することとなった。
戦い方の選択肢はいろいろとあった、と四宮氏は言う。スターサンズがこの助成金不交付によって害された信用や、そこでなされた業務妨害ともとれる処分に対し損害賠償請求を芸文振に対して行うこともできたが、結論としては「お金の問題ではない」という方針に至った。この処分はおかしい、と真正面から言っていかなければ、「公益性の観点」という点が加えられてしまった要綱を戻させる動きには繋がらない。損害の補填で終わらしてはならない。不当な理由による助成金不交付の処分そのものを取り消さなくてはならない。そのために、正面から憲法論を世間に問う、問題提起をする裁判を起こしましょう、ということで始まった裁判であった、と四宮氏は説明する。
映画には公益性は必要なのか
「そもそも映画に公益性は必要なのか」。司会の舩橋淳氏から投げかけられた、問題の根幹に関わるこの質問に対し四宮氏は、公益性という言葉が法律において扱われるケースから丁寧に説明を行う。
例えば公益社団法人などを設立するときには、公益性の認定を受けなくてはならない。その際の公益性の判断基準はいくつかあり、そこで使われるのが認定法であると言う。そこで示される公益性とはつまり「不特定かつ多数の利益の増進に寄与するかどうか」である。
では映画の場合はどうか。映画を見るか見ないかは人それぞれであるが、少数の方に向けた映画、特定のセグメントに対して発信することを意図した映画というのは当然あって、だからこそそれは文化助成の対象になることもある。それは、映画に限らず現代美術や現代音楽など表現活動全般に対して言えることであり、表現は必ずしも「不特定かつ多数のために」作られるとは限らない。にも関わらず、公益性という言葉が文化行政に持ち出されてしまったこと自体が、今回のそもそもの問題だったのではないか、と四宮氏は話す。
以上、駆け足で私なりに四宮氏の言葉を要約してみたが、それによって今回の不交付問題が『宮本から君へ』という作品の不利益という話に留まらず、日本における文化行政の在り方、作り手にとどまらず誰もが有する表現の自由(それは多様な表現に触れることのできる自由にもつながる)に関わる問題であり、決して他人事ではないと感じた直感は正しかったことを確認できた気がする。
この第一回口頭弁論から1年と4ヶ月が過ぎた2021年6月22日、東京地裁は助成金不交付決定を違法と判断。原告側に全面勝訴の判決が下りた。
独立映画鍋では今回の判決結果を受け7月14日に、四宮弁護士や河村光庸氏プロデューサー、志田陽子氏、作田知樹氏をお招きしトークセッションを開催する。
今回の画期的な判決の意義を探る時間にぜひ参加して欲しい。
【⽇ 時】2021年7月14日(水)(19:00〜21:00)
【開催方法】 オンライン開催(Zoomウェビナー)
【参加費】無料
【定 員】先着70名
【対 象】映画・映像に関わる方はもちろん、広く一般の方の参加もお待ちしております。
<お申し込み方法>
下記のリンクからお⼿続きください
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(執筆:深田晃司)