【レポート】プラットホーム・プサンに独立映画鍋が参加することになった経緯
韓国を代表するプサン国際映画祭(10/12~21)に新設された「プラットホーム・プサン」というプログラムに、独立映画鍋から大勢の会員が参加した。その発端についてのレポート。
執筆:藤岡朝子(独立映画鍋 理事)
2017年早々、プサン国際映画祭のエグゼクティブ・プログラマー、キム・ジソク氏から連絡があった。「アジアのインディペンデント・フィルムメーカーが集い、互いの経験や知見を共有しながら、つながれる場を作りたい」「その連携する場をプサン映画祭で組織したい」ということだった。日本で独立映画を掲げる映画制作者たちの協会としては「NPO法人独立映画鍋」があると聞きつけ、旧知の私(理事で発起人のひとり)に連絡してきたのだった。「シンポジウムを開催する際に独立映画鍋からパネリストをひとり招待し、メンバーの皆さんにも参加してもらえるように手配を整える」という素敵なお申し出だった。
さっそく映画鍋の定例運営ミーティングでこの提案を発表すると、プサン映画祭に参加したいという声が多くあがり、東京国際映画祭で連携イベントを組んだり、海外ゲストを迎えた手作りパーティを主催してきた近年の独立映画鍋の活動にもつながる、国際的なネットワーキングへの期待の高まりが実感された。
5月、キム・ジソクさんの急逝の知らせが届いた。プサン国際映画祭は、フェリーの沈没事故に迫ったドキュメンタリー映画の上映をめぐって行政の圧力と闘ってきたが、その2014年以来、補助金や人事をめぐる数々の苦難をかぶってきた。そんな中、創設時から幹部だったジソクさんの急死はさらなる打撃だった。しかし残されたスタッフは、これまで準備されたプログラムを実現させることでジソクさんの遺志を継ぐことを貫くことにした。
キム・ジソクさんの代わりに日本作品を担当することになったプログラマーのキム・ヨンウさんが6月末に来日した時、プラットホーム・プサンのプログラムはまだほとんど決まっていない状況だった。逆に意見を求められ、「100人以上で講義を聴く形式より、個別テーマの分科会で交流した方が実質的なネットワーキングと学び合いが実現するのでは?」と提案し、映画鍋で課題となっている「労働環境の問題」などを例として挙げた。その後、通信を重ねながら、概要が見えてきたのは8月下旬。映画鍋のメーリングリストで参加を呼びかけ、開催までの短い期間で情報交換しながら参加者の渡航準備をサポートすることになった。
映画鍋の会員200余名に限らず広くインディペンデント映画に関わる人たちにも広めるべきと思い、国内の幾つかの国際映画祭事務局やFacebookでなるべく告知した。しかし開催直前ということもあり、実際には個人の伝手以外で参加した非会員はいなかった。プラットホーム・プサンが独立映画鍋の営利活動ではなく、あくまでもメンバー個人が引き受けるボランティア活動であったことは、今回の取り組みの特徴である。
今年は初めてのプログラム、しかも突貫工事で実現した企画だった。個人的な感想だが、今後はアジア各国から参加する映画制作者自身が主体的に提案して内容を作っていくプラットホームの実現が望ましいのでは? メンバーが「お客さん」ではない、実質的な互助会を目指す独立映画鍋と同様、プラットホーム・プサンを構想したキム・ジソクさんのヴィジョンは、ひょっとしてアジアの独立映画鍋みたいなものだったのではないか? などと思うのだ。(了)
みんなの手に赤いフライヤー!独立映画鍋の活動紹介をする英語版を、このために作りました。
プラットホーム・プサン2017に参加した独立映画鍋メンバーによる24ページのレポートへはこちらへ>>http://eiganabe.net/2017/12/26/1712