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映画上映者の国際交流!(インドネシア編)レポート

映画上映者の国際交流!(インドネシア編)レポート

2014年12月5日~12日
執筆:石原香絵(NPO法人 映画保存協会、映画鍋会員)

● 初日 – 出発 12月5日(金):

 ドキュメンタリー・ドリームセンターの藤岡朝子さんのお誘いで、映像作家で名古屋シネマテークの酒井健宏さん、映画監督の深田晃司さんと共にインドネシアの2都市を訪れるという願ってもない機会を得ました。目的は、現地のドキュメンタリー作家や学生との交流です。筆者の参加が確定したのは、実は出発4日前。周囲に事情を説明し、夏服をひっぱり出して、慌ただしく初日の朝を迎えました。日本チームの酒井さん、深田さんとは面識がありませんでしたが、愛知出身の筆者にとって、名古屋シネマテークは高校時代から通っていたミニシアター。酒井さんとは同じ私大で非常勤講師をしていることも判明。そして今年は青年団の舞台を3本みていたので、団員の深田監督とご一緒できることにも(勝手に)ご縁を感じていました。
 ところで筆者の所属する映画保存協会(FPS)は、「東南アジア太平洋地域視聴覚アーカイブ連合(SEAPAVAA)」という舌を噛みそうな長い名称の国際団体に加盟し、東南アジア各国の映画保存の状況を学んでいます。このSEAPAVAA は2009年、インドネシア国立公文書館、国立図書館、西ジャワ地方公文書館、アシネマテーク・インドネシアの4団体をホストに、バンドンとジャカルタの2都市で年次会議を催しました。その会議に参加できなかったことが心残りでしたし、何よりFPSが普及に力を入れてきた「ホームムービーの日」(地域や家庭に眠る映画フィルムの持ち寄り上映会)のインドネシア会場の関係者とお会いするのが楽しみでした。
 さて、一同ガルーダ・インドネシア航空のお昼の便で成田を発ち、いざインドネシアへ。ジャカルタのスカルノ・ハッタ国際空港で国内線に乗り継ぎ、ここでタイ国立フィルムアーカイブ副代表のチャリダー・ウアバムルンジットさんと合流しました。旧知のチャリダーさんの参加をこのとき初めて知って、筆者は小躍り。出発直前にニュースで読んだタイ初の「シネモバイル」(日本の移動型映画館「MoMO」に似ています)の話題等でひとしきり盛り上がりました。すっかり気が緩んでしまいましたが、実は乗り換えも、空港税の支払いも、そして両替にも不慣れで藤岡さんに頼りきり。先が思いやられる旅の始まりでした。
 最初の目的地ジョグジャカルタ(略してジョグジャ)のアジスチプト国際空港では、11月の「映画上映者の国際交流!日本編」のために来日したラインプロデューサーのサリ・モフタンさんが明るい笑顔で出迎えてくれました。手際のいいサリさんに促されるまま2台の車に分乗し、滞在先のホテル「テンビ ルマ ブダヤ」に到着したのが夜10時頃。フロントデスクの隣のテラス(食堂)には夕食の準備が整い、サリさんと来日したインドネシア・チームの2人——映画プロデューサーのメイスク・タウリシアさんと映画ライターのアドリアン・ジョナサンさんたちとテーブルを囲みました。「日本編」に参加しなかった筆者にとっては初対面の方ばかり。近代的な大都市ジャカルタ、伝統的な文化が残る古都ジョグジャ、敬虔なイスラム教徒の多いアチェといったインドネシアの地域ごとの特色、庶民派のジョコ・ウィドド大統領(メタリカのファンだそうです)の政策等が話題になりました。
 明日は「JAFF」という映画祭の最終日に参加するとのこと、小津安二郎監督『非常線の女』(1933)が森永泰弘さんの音楽で上映されたというので、映画祭のHPを調べてみよう!と意気込んだのもつかの間、部屋でシャワーを浴びたら後は何もせず、ただ寝入ってしまいました。

● 2日目 – 第9回ジョグジャ・ネットパック・アジア映画祭 12月6日(土):

 目覚ましのアラーム音もかき消されてしまうほどにぎやかな鳥の鳴き声に一度は目覚めたものの、思うように身体が動きません。皆は朝8時台からテラスでおしゃべりをしていたのですが、もたもたしていた筆者は昼食から合流。昨夜の到着時は真っ暗でよくわかりませんでしたが、緑豊かな敷地に木造のバンガローが点在するホテルの周囲には美しい水田が広がっていました。水田を見下ろすテラスでまったりと時間を過ごし、正午過ぎにようやくジョグジャの繁華街へ。逆方向に30分ほど車を走らせれば黒砂のビーチに出るということで、緑色の服を着ていると波にさらわれるという海の女神ニョイロロキドゥルの伝説を車中で教わりました。インドネシア滞在中は車の送迎が毎日あって、王侯貴族のようにほとんど歩きませんでしたが、行き先を変更することはもちろんできません。心はビーチへ、身体は映画祭へ……。
 辿り着いた2階建ての文化施設「タマン ブダヤ ジョグジャカルタ(TBY)」には、「第9回ジョグジャ・ネットパック・アジア映画祭(JAFF)」の大きなバナーが掲げられていました。今年のテーマは「Re-Gazing at Asia(アジアを見つめ直す)」。TBYを含む市内3会場で上映されるのは18カ国の75作品。考えていた以上に大規模です。ちなみにオープニング作品は是枝裕和監督『そして父になる』(2013)、クロージング作品はポン・ジュノ監督『スノーピアサー』(2013)。コンペに出品された日本映画は山下敦弘監督『もらとりあむタマ子』(2013)と小林政広監督『日本の悲劇』(2013)。タイ映画は、タクシン政権に批判的な内容のためタイ国内で上映禁止になったイング・カンジャナバニット監督『Shakespeare Must Die』(2012)、そして東京国際映画祭ワールド・フォーカス部門でも上映されたナワポン・タムロンラタナリット監督の『マリー・イズ・ハッピー』(2013)。前者にはチャリダーさんがカメオ出演しているそうです。
 TBY到着後、インドネシア・チームはイベントの設営、そして深田監督と藤岡さんは映写チェック。招待作品として、これから深田監督『歓待』(2010)が上映されるのです。酒井さん、チャリダーさん、そして筆者は1時間弱をロビーで過ごし、通訳のグレイ・ローレンスさん(現地の学生)、JAFFプログラマーのイスマイル・バスベスさん、そしてインドネシアの映画監督を多数紹介してもらいました。例えば2013年の山形国際ドキュメンタリー映画祭(YIDFF)アジア千波万波で『デノクとガレン』(2012)が上映されたドゥウィ・スジャンティ・ヌグラヘニ監督、伝記映画『スカルノ』(2013)のハヌン・ブラマンティヨ監督、「ショート&ショートフィルムフェスティバル&アジア2014」で最優秀賞を受賞し、沖縄の座間味・南城の観光映画を制作中のヨセプ・アンギ・ノエン監督…… ひときわ印象的だったのは、こうした若い映画監督たちの仲の良さです。
 250席ほどの劇場は、必ずしも映画を専攻しているわけではない一般の大学生を中心に6〜7割埋まりました。メイスクさんの短い挨拶の後、午後1時半に『歓待』上映開始。観客の笑い声、拡声器から流れるお祈り放送、建築工事の騒音、そして通訳のグレンさんの容赦ないつっこみが混じり合い、摩訶不思議な上映体験になりました。
 上映に続いて、前述のイスマイルさん、エイドリアンさん、ミンスクさん、藤岡さん、深田監督、そしてチャリダーさんによる討論会「Diversity and Big Screen Experience」に移りました。「(YIDFFの始まった)25年前にまだ生まれていなかった人は?」という問いかけに、観客の多くが挙手。藤岡さんは、デジタル時代に敢えて大きなスクリーンで映画をみることを、「一時停止や早送りができない映画館の暗闇は、忙しい日常を離れて瞑想できる神聖な場所」と表現。深田監督の「PCやスマートフォンのモニタでコンテンツを視聴するのは、絵画を画集で鑑賞するようなもので、DVDで映画をみても、実はその映画本来の魅力の1割も享受していないかもしれない」という発言に、チャリダーさんも、映画のオリジナルの上映形態を維持することの重要性を強調しました(逆に、ネット配信を意図して制作された作品は映画館での上映が最適とはいえない、との指摘も)。興行として成立しなくても質の高い映画を上映すること、人と出会う場として映画祭を機能させること、そしてそれを実現している登壇者の並々ならぬ熱意は、デジタル時代の若者にもきっと伝わったと思います。
 午後4時過ぎに討論が終わると外は雨。11〜4月はインドネシアの雨期にあたりますが、本格的に雨に降られたのは滞在中この日だけでした。雨中、映画がテーマのカフェに移動してまたおしゃべりの続きです。そして夜8時頃からインドネシア最大のシネコンチェーン「シネマ21」(2014年現在177館685スクリーン)の屋外ステージで始まったJAFF閉会式に参加。前述のタイ映画『マリー・イズ・ハッピー』がコミュニティ賞を受賞し、チャリダーさんが代理でスピーチするという嬉しい出来事も。その後レストランに移動し、この日の夕食はジョグジャカルタの郷土料理「グドゥッ」を平らげました。

● 3日目 -『祭の馬』上映会 12月7日(日):

 午前中は市内観光。エレガントな日本語のガイドさんの解説とガムランの調べをBGMに、王宮クラトン(Kraton)をのんびり散策しました。午後はホテルに戻りましたが、ホテルの敷地内にも博物館があり、王宮と同じようにガムラン演奏やバティック作りの実演等を楽しむことができます。
 さて、この日はそのホテル内の多目的スペースにパイプ椅子を並べ、松林要樹監督『祭の馬』(2013)の上映会です。共同主催者はジョグジャのドキュメンタリー映画祭(FFD)。スクリーンは壁に貼った白い布。室内を完全に暗くはできず、音も悪く、お世辞にもベストの上映環境ではないものの、手作り感あふれるいい雰囲気です。昨日のJAFFもそうでしたが、会場には甘いお菓子や飲み物もしっかり用意されていて、何をするでもなくただ上映を待つスケジュールの余白が参加者のコミュニケーションに一役買っています。機材トラブル等もあって2時半頃に上映開始。参加者は、やはり若い学生を中心に30〜40名ほど。現地の日本人留学生も来場してくれました。
 上映後の休憩を挟んで、午後4時頃からイスを円形に並び替え、藤岡さん、チャリダーさんが前に出てQ&Aの時間となりました。藤岡さんは、日本で東日本大震災に関するドキュメンタリー映画が100本以上制作されたこと(100本という数字に驚きの声!)、その1本として『祭の馬』がどのように上映されてきたかを紹介。進行役のアドリアンさんが何名かにコメントを促すと、馬への愛情の深さに対する感動、(是非は別として)政府が家畜まで統制していることへの驚き、アンナ・シュウエル著『黒馬物語』を連想したというような率直な感想が次々と。
 『祭の馬』のように説明し過ぎないドキュメンタリー映画(「Observational Documentary」と呼ぶそうです)が受け入れられる素地があるか、という問いかけに、まずチャリダーさんがYIDFFにインスパイアされて2011年に始めた「サラヤ国際ドキュメンタリー映画祭」の成功潭を鮮やかに語って聞かせてくれました(サラヤとはタイ国立フィルムアーカイブのあるバンコク郊外の地名です)。続いてインドネシア側からは、非商業映画の有料上映会を成立させることの困難や、自主映画の監督たちが置かれた厳しい状況について切実な訴えが続きました。新しいことに挑戦したい映画監督と、わかりやすさを求める観客の橋渡し役として、酒井さんは自らの経験を踏まえ、たとえ誰も上映会に来てくれなくても、良質な映画を上映しているという自負を上映者が忘れることなく、上映を継続することが大切であるとのコメント。上映者の覚悟と信念とが伝わってきます。物議を醸すような作品を世に出した監督を守るためにも映画人の連帯が必要、という意見には、フィリピンのモウェルファンド映画協会の取り組みが思い出されました。
 この日の討論、用意されたテーマは「Does Cinema Widen your World」だったのですが、ややテーマを逸脱して3時間も続き、会場を出たのは結局、夜7時半。深田監督、酒井さん、藤岡さんはテラスに移動して引き続き学生からの質問に丁寧に応じていました。筆者は夕食後にお暇して、日本からよっこらせと持ってきた校正仕事を片付けました。こういうときに限って緊急メールや(普段は滅多にない)取材の依頼が舞い込むから不思議です。

● 4日目 – ジョグジャ・フィルム・アカデミー 12月8日(月):

 実はジョグジャに到着してから皆の体調が芳しくなく、中でもとくに調子が悪かった深田監督は、この日ホテルに残って静養されることに…… 日本チーム、ピンチです。サリさん、メイスクさん、藤岡さんは一足先にこの日の上映会場となる今年開校したばかりという映画学校ジョグジャ・フィルム・アカデミーにて設営。一方、アドリアンさんは酒井さん、チャリダーさん、そして筆者の3人をマーケットに案内してくれました。せっかくのマーケットですが、残念ながら購買欲のない筆者はやや時間をもてあまし、ビル屋上のカフェで小休止。 
 昼食は全員揃って、例の甘い煮込み料理「グドゥッ」の発祥の店「ユ・ジュン」に出かけました。午後3時頃にジョグジャ・フィルム・アカデミーに入り、40〜50名ほど集まっていた学生を対象に3時半頃から『タリウム少女の毒殺日記』(2013)を上映。上映後には、スカイプで土屋豊監督とのQ&Aの時間が設けられました。宗教と科学を同列に扱うことに対する困惑や、映画のスタイルに馴染みがなく分かり辛いといった意見が先に出て、監督とのやりとりは難解なものになってしまいましたが、学生が作品を受け入れなかったわけではなく、皆とても熱心に鑑賞していました。とくに通訳のグレイさんは、筆者よりよっぽど深いところでこの作品を理解しているようでした。
 ちなみにチャリダーさん、スカイプを使ったQ&Aのスタイルに何かひらめいたようで、タイでも試してみたいとのこと。今年で設立30年のタイ国立フィルムアーカイブはモバイルシネマのみならず、米国のナショナル・フィルム・レジストリー(映画の文化財登録)を真似たり、アジアではまだ珍しい無声映画祭を実現したりと発展目覚ましく、現在建設中の収蔵庫やデジタル部門の入る新棟が完成すれば、国際フィルムアーカイブ連盟(FIAF)の年次会議の開催地にも選ばれるかもしれません。
 30分程の休憩を挟んで、やはりイスを円形に並び替え、午後6時頃から前日と同じテーマ(「Does Cinema Widen your World」)の討論。同校のディレクターを務めるイファ・イスファンシア監督のコメントの後、酒井さんが名古屋シネマテークの上映活動について(新作だけでなく旧作も上映していることを含めて)紹介し、続いて筆者も簡単に映画保存協会の活動紹介をさせてもらいました。
 JAFF会場では観客からほとんど質問が出なかったので、この国の若者はシャイでおとなしいのか……と思ったら大間違い。インドネシアはメキシコ、ナイジェリア、トルコと並んで若年人口がとりわけ多い国として知られ、大学の数が100を超えるというジョグジャは、グレイさんの通う(アドリアンさんの出身大学出もある)国立ガジャ・マダ大学だけで学生数約4万。一様に高い英語力にも感心しきりですが、それ以上に好奇心に溢れ、コミュニケーション能力に優れている学生の圧倒的なパワーに、この日からじわじわと押されていくことになります。
 筆者にとってイスラム教国を訪れるのは初めての経験だったこともあり、女性のカラフルなヒシャブ姿にもつい目を奪われました。信仰であると同時にファッションとして、皆それぞれに工夫を凝らしています。観光客のお土産用だけかと思いきや、バティックの半袖シャツを着ている現地の人も少なくありません。企業や大学には週一度バティック着用を奨励する「バティックの日」があったりするそうです。そしてインドネシアは「世界の灰皿」。滞在中、お酒を飲んで酔っぱらうようなことは一度もなかったものの、上映の前後や食後の喫煙とおしゃべりとは切っても切り話せない関係でした。日本がそうであったように、インドネシアでも急速に禁煙や分煙が進んでいくのかもしれませんが、少なくとも現在はたばこ天国です。
 映画祭の関係者や映画監督と合流し、なんと豚肉料理店でジョグジャ最後の夕食。ここでも延々とおしゃべりが続き、名残を惜しみつつ集合写真を撮ってお別れとなりました。

● 5日目 – キネフォーラム 12月9日(火):

 日の出前の暗い時間にテラスで珈琲を一杯。これでどうにか眠気を覚まし、空港のゲート前でサリさんたちが用意してくれたお弁当をいただきました。次なる目的地ジャカルタでは空港を出てすぐに名物の渋滞に巻き込まれましたが、アドリアンさんが東京の第一印象=「ジャカルタみたい」と言っていたように、筆者もジャカルタの第一印象=「東京みたい」。
 ようやく到着したチキニラヤ通りのホテル(Whiz Hotel)に荷物だけ置かせてもらい、本日の上映会場「キネフォーラム」のあるタマン・イスマイル・マルズキ公園(TIM)まで(歩ける距離なのですが、やはり車で)向かいました。イスマイル・マルズキという国民的な作曲家の名を冠したこの公園には、プラネタリウム、野外劇場、博物館等が点在しています。まず公園内のレストランで腹ごしらえ。「ソト」というスープごはんに、ピーナッツソースのサテ。通訳のエフェンディ・デディーさんも仲間に加わりました。
 この公園内にあるシネコン(シネマ21)の上階に、ジャカルタ・アーツ・カウンシルの事務所があるそうです。正面入口ではジョグジャ・フィルム・アカデミーのディレクター、イスファンシア監督の大作アクション映画『プンデカール・トンカット・ウマス~黄金の杖の剣士』を派手に宣伝していました(予告編を見る限りハリウッドのアクション映画と区別がつきません!)。2014年7月14日付の「じゃかるた新聞」の記事によると、シネマ21は「シネマックス」と改称し、今後10年で85都市300館(2000スクリーン)の展開を計画中です。
 看板があるわけでもなく、少しわかりづらいのですが、このビルのちょうど裏手にインドネシア唯一のミニシアター「キネフォーラム」(45席)があります。シネマ21が出資しているそうですが、今のところ毎日映画を上映しているわけではないようです。映写室も見学させてもらいましたが、設備は日本のミニシアターと何ら変わりません。これまでのジョグジャの上映環境よりは恵まれた条件で、午後1時半頃から『歓待』が上映されました。しばらくホテルで休んでいた深田監督も3時過ぎに始まった質疑応答から復活。上映後は客席から様々な意見や質問が出ましたが、日本に暮らした経験のある通訳のデディーさんの、「ああやって外国人が助け合う姿、すごく懐かしいです」という言葉が心に残っています。誰とでも友だちになれそうな気さくなデディーさんですが、日本人と友だちになるのはとても難しかったそうです。
 この日集まった学生は映画を専攻しているのではなく、インドネシア大学で法学、人類学、メディア論、社会学等あらゆる学部に在籍し、サークル活動のように学内で映画祭や自主上映会等を企画したり、自ら映画を制作したりしている方たちでした。それぞれのグループの活動報告を1時間半ほどかけて拝聴。グループごとのツイッターのアカウントや映画祭の名称をメモしましたが、数が多くてとても把握しきれません。
 その後『タリウム少女の毒殺日記』を鑑賞し、午後8時過ぎからロビーで監督とのスカイプQ&Aとなりました。ジョグジャとジャカルタの学生の違いなのか、主催者側が進行を工夫したからなのか…… 何れにしてもこの日のジャカルタでのQ&Aとその後のおしゃべりは、ジョグジャ以上に盛り上がり、解散時間は夜10時を過ぎました。チャリダーさんはここでもサラヤのドキュメンタリー映画祭のこと等を学生に語って聞かせました。
 酒井さんは元々お仕事のため帰国予定が1日はやかったのですが、深田監督は体調が悪かったこともあり、メイスクさんたちが航空会社に要請して酒井さんと同じ便を確保してくれました。お2人とはあと1日でお別れです。

● 6日目 – Lab Laba Laba/インドネシア国立映画製作所(PFN) 12月10日(水):

 6日目は朝8時半にホテルを出発。11時頃に「ホームムービーの日」の主催団体でもあるLab Laba Labaが活動拠点としている建物に到着し、代表のエドウィン監督(インドネシアでは驚くほど珍しいことでもないそうですが、エドウィン監督は出生証明のミスで名字がありません)や、インドネシア・フィルムセンターの職員の方とご挨拶しました。しかしどうにも広大な敷地。何かと思ったらここがインドネシア国立映画製作所(通称PFN)だったのです。当日までは、Lab Laba Labaが使っている古い建物に遊びに行く、という程度の認識でした。
 PFNの重い歴史をここで端的にまとめることはできませんが、まず藤岡さんによる12月11日付のレポートをご覧ください[http://goo.gl/gqvOca]。藤岡さんが紹介されているように、PFNの歴史的な背景については、「”日本映画の最南端”に立つ」(岡田秀則著 2002年)が参考になります[http://goo.gl/5BwK0B]。未見ですがNHKスペシャル「発掘 幻の国策映画 日本占領下のジャワ」(1989年8月14日放映)、WOWOWの「ノンフィクションW 幻のニュースフィルムが伝える太平洋戦争 ~インドネシアで映画を作り続けた男たち~」(2012年8月10日放映)等も、この建物を取材しているかもしれません。2013年のユネスコ「世界視聴覚遺産の日」記念上映会では、ここで製作されたプロパガンダ映画が上映されたばかりです(早稲田大学演劇博物館所蔵)[http://goo.gl/NCN4o6]。
 PFNのスタジオや現像場は閉鎖されて10年以上になるそうですが、廃墟と化した建物の内部には、機材の一部や強烈な酢酸臭を発する大量の映画フィルムが残されています。フィルムは劣化度によって3つの収蔵庫に分けられ、最も状態の酷いフィルの部屋はもはや開かずの扉。二番目に酷い状態の部屋も目に刺さるような酢酸臭でしたが、フィルムの置かれた棚ごとに担当者(主治医)の名札が貼られていたのは、エドウィン監督たちが調査を続けている証です。こうした映画フィルムの詳細については、主にチャリダーさんの人脈で欧米やオセアニアのフィルムアーキビストが既に支援に動いているので、ここでは割愛して別の機会に改めて報告したいと思います。何れにしても、若きLab Laba Labaの面々のフィルムを扱う手つきは慣れたもので、フィルムへの愛情がひしと伝わってきました。
 現PFN(経産省の管轄)は、この歴史的な建物をはやければ来年取り壊すそうです。そこで午前中はPFNディレクターによる再開発計画に関するプレゼンを聞き、メイスクさんたちが招いた映画人やジャーナリストたち約20名がそれに対して意見を述べる、という場が持たれました。PFNは、メディア関係の企業や団体を集めるオフィスタワー、シネコン、スタジオ等の建設、さらには映画博物館の2018年開館を示唆し、母国に愛着や誇りを持てるような映像を制作していく意向です(珈琲豆の生産に関する『Aroma of Heaven』という作品がサンプル的に紹介されました)。しかし一方で、集まった映画人やジャーナリストたちは、再開発を中止してほしいと考えています。多くの人が廃墟になった建物に美しさを見出していることも感動的でしたが、政府が映画製作や映画人を統制するようなことは二度と許さないという切実な想いは、胸に迫るものがありました。午後1時頃に議論は一旦終了。メイスクさんたちはPFNディレクターと昼食を共にして対話を続け、チャリダーさんもその輪に加わって涙ながらに建物の保存を訴えました。かつてここで働いていた技術者は公務員として、今は政府の別の部局で働いているそうですが、当然ながらこの建物に深い愛着があり、エドウィン監督たちがここで16mmフィルムの現像ワークショップや自主上映活動を行っている姿を頼もしく見守っているそうです。
 午後からは小津安二郎監督『東京物語』(1953)の上映です。国際交流基金所蔵16mmフィルムのエルモ16-CLによる2台映写。古めかしいインドネシア語のパチ打ちの字幕に映写キズもたくさんあるプリントで、その上、映写ミスも多々あったのですが、これがピカピカにデジタル復元された小津作品のDCP上映よりずっと(あるいは同じように)心に響くのですから、巨額を投じるデジタル復元だけでなく、日々の地道な保存活動、あるいは単純に上映の機会を増やすことがいかに大切な仕事であるかを再認識させられました。その後、シネマテーク・インドネシアのディレクターAdisurya Abdyさん、酒井さん、チャリダーさん、筆者が前に出て(残念ながらインドネシア国立公文書館の視聴覚部門の担当者は体調不良のため欠席)、「多様な映画の上映振興のために~クラシック映画の上映について」というテーマで発表しました。ここで筆者は、映画保存協会がかつて取り組んでいた「映画の里親」制度を紹介しました。
 日本でも国立国会図書館法が一旦は映画フィルムの法定納入を義務づけながらそれを保留にしたように、インドネシアも法律上は国立フィルムアーカイブへの映画の納入義務が定められているにも拘らず、国立フィルムアーカイブが存在しない(シネマテーク・インドネシアは国立組織ではない)、という矛盾があるそうです。アドリアンさんたちは支援団体(フレンズ・オブ・シネマテーク)を設立したこともあったそうですが、うまくいかなかったとのこと。
 この日の夜は『アクト・オブ・キリング』(2012)のジョシュア・オッペンハイマー監督の新作『The Look of Silence』(2014)の上映会に50名近い観客が集まっていましたが、我々はその奥で夕食を済ませ、夜の便で帰国する酒井さんや深田監督たちと記念撮影。2人を見送った後、映画の上映は8時少し前に終わりましたが、上映後の討論が何時間も続いたため、ホテルに戻ったのは深夜でした。疲れはピークに達していましたが、一旦ホテルに戻ってから「パダン料理」のお店に連れて行ってもらい、(味は覚えていませんが)テーブルに小皿料理が次々と重ねられていく様子をうっとりと眺めていました。半分眠りながらも、東南アジアのどことどこの国の仲が悪いか、というようなチャリダーさん提供のブラックな話題に皆でカラカラと笑ったことは忘れられません。早朝の便でチャリダーさんはシンガポールの映画祭へ、アドリアンさんはジョグジャに戻ります。


● 最終日 – 帰国 12月11日(木)・12日(金):

 毎日異なる上映場所で異なる観客と出会ったインドネシアの5日間は実に楽しく、刺激的で、あっという間に過ぎていきました。未だにすべてを消化できてはいませんし、反省点もあげればキリがありません。酒井さんが撮影を担当してくださった画像を眺めると、そこには日に日に堆積していった疲れもしっかり記録されています。最終日はお昼頃まで熟睡していました。
 チェックアウトを済ませ、藤岡さん、サリさん、メイスクさんと筆者の4名でファミレス風のレストランに出かけました。インドネシア料理を復習するかのようにあれこれ注文してお腹いっぱい。濃厚なアボカドジュースも堪能しました。ここで日本人はなぜ英語が苦手か?という話題になってちょっと耳が痛かったです。筆者はさすがに「これから英語の勉強頑張ります」と言って済まされる年齢ではありませんが、拙い英語力でどうにかできることを探っていきたいと思います。その後SEIBUの巨大ショッピングモールのお土産物フロア、書店、スーパーマーケット等をぶらぶら。渋滞に備えてはやめに空港に向かうため、サリさん、メイスクさんともいよいよお別れの時間となりました。日付をまたいで成田着は12日の朝9時頃。インドネシア滞在中はかろうじて元気だった筆者も、東京のあまりの寒さにすぐ風邪をひいてしまいました。
 映画保存に携わる人たちは、映画界ではある意味マイノリティだからこそ、国境を越えた友情がはやくから深まったのかもしれません。しかし中にはチャリダーさんのように、映画保存の専門家だけでなく映画祭の関係者や製作者たちと垣根なく交流している人たちもいます。そうすることで初めて映画保存の仕事も広く認知され、市民権を得ていくのかもしれません。ここではじまった交流はこれからも続いていくもので、結論めいたことは何も浮かびませんが、今はただ新たな展開を楽しみにしています。2015年2月27日〜3月8日に開催される恵比寿映像祭では、「映画上映者の国際交流!日本編」の上映と同じく、メイスクさんのキュレーションによるエドウィン監督の特集が組まれています。
 さいごに、今回の「インドネシア編」では、インドネシア・チーム、日本チーム、そして通訳のお2人をはじめとする多くの皆さまにたいへんお世話になりました。心より感謝いたします。ありがとうございました。(以上)